外国語学部

大連外国語学院への留学を終えて 安西祐香 中国語専攻3年

大連はこんな街

平成16年3月から平成17年1月までの10ヶ月間、交換留学生として中国遼寧省、大連にある大連外国語学院に留学してきました。渡航前に中国へ留学経験のある先輩方から、中華料理が口に合わなかった、歯医者にかかったらペンチで歯を抜かれそうになった、ドアがないので隣どうし「ニーハオ!」と挨拶を交わしあうというニーハオトイレ...などなどいろいろな体験談を聞いていたのでかなりの覚悟を決めて日本を飛び立ったのを覚えています。

いざ大連に着いてみるとイメージとは全く違った発展した街でした。高層ビルも多く道も整備されています。しかし、さすが人口13億人の中国、街は人と車でいっぱいで目が回りそうでした。そして気がついたのですが、自転車に乗っている人がいない!中国といえば人だらけ、そして自転車だらけというイメージを抱く人が多いと思いますが、大連は坂が多いため自転車に乗っている人を見かけません。中国人は徒歩か、公共のバス(どこまで行っても1元、日本円で約14円!)、タクシー(タクシーも初乗り8元、約100円)を使います。自家用車を持っている人も多く、ベンツやBMWなど高級車を見かけることも少なくありません。生活面でもビジネスの街なので外国人も多く、日本人向けに日本語の情報誌があり、日本料理屋、マッサージなどの情報も簡単に手に入ります。市内にはマイカルなどもあり、日本人にとって非常に住みやすい街だな、と感じました。

大連外国語学院(大外)での生活

大連外国語学院は規模の大きな学校です。留学生は日本人、韓国人が最も多く半々の割合で、ロシア、イタリア、フランス、アメリカ、シュージーランド、タイ、モンゴル、インドネシアと様々な国からの留学生が集まっています。私は留学生寮に入っていたのですが、中国の物価としては、寮費が割高なので長期留学の人は多少手続きが面倒でも自分でアパートを借りて住んでいるようです。

私自身は10ヶ月間寮で生活しました。前期は日本人の女性と一緒に住んでいました。彼女は婚約者が日本人で、彼が中国で就職することが決まっていたので中国語を勉強しに大連へ留学していました。留学=大学生というイメージが強かったのですが、大外に留学している日本人の中には大手企業を辞めてきた人や、英語圏に何年も留学した後、中国語をという人などいろいろな人がいました。そういう人たちと話すのはとても面白く、自分の進路を決める上でもすごく影響を受けました。

後期は韓国人と住んでいました。同じアジアで一番近い国と言えども、最初は物を勝手に使われたり、キムチを部屋に持ち込んで部屋がキムチ臭くなったり、食事のマナーの違いを感じたり、戸惑うことも多かったです。でもその度に話をして、譲るところは譲りあって仲良く共同生活できました。

食事事情

留学生の多くは始め、食事に困るようです。

私は基本的に自炊をしていました。寮内には自炊室があり、フライパンや鍋、炊飯器、冷蔵庫も近くの店で簡単に手に入ります。

外食はもちろん中華料理も食べますが油っぽく、毎日は食べられませんでした。そこで留学生がよく食べていたのは、韓国料理や大学の正門前にある日本料理です。牛丼、オムライスなどちょっとした食べ物があるのでとても便利です。また私が中国ではまったのは屋台の食べ物です。清潔好きの日本人にとって、中国の屋台などで食事をするのはちょっと気がひけるのですが、一度食べてみると案外平気でした。

昼間は肉まん、揚げ菓子、肉団子揚げ、果物の砂糖菓子、などなど様々な軽食が売られています。ひとつ1元と値段も安いので、おやつ感覚で食べていました。夜には羊肉の串焼きにビール。安いしお腹もいっぱいになるし、朝方5時くらいまで営業しており友達とよく行っていました。

夏休みにチベットへ旅行に行きました。この旅行についてはもう一人の交換留学生綾さんが書いていると思うので省きます。

7月には上海に日本から両親と妹が遊びに来たので大連から上海まで行きました。大連も発展していて現代的な街ですがやはり、上海は更に賑やかでした。観光客も多く、街行く人々のファッションもおしゃれです。物価は大連に比べて高めでした。

中国北方の大連と南方の上海では食べ物にも違いがあり、大連では甘辛い味付けが多く上海は塩辛い味が多いようです。飲茶を食べたりテレビタワーを見たり、大連とは違う中国を体験することが出来ました。

また、中国人の友達の実家、丹東にも行きました。丹東という街は河をはさんで朝鮮半島の向かい側にあり、150M先に北朝鮮を見ることが出来ます。日本では拉致事件が話題になっている時期でもあり、すごく遠い存在だった国を自分の目でしかもあんなに近くに見ることができてすごく貴重な体験になりました。河をつなぐ橋には普通に車が行き来しており、驚きました。しかし岸から見る限りビルなどもなく、人々が貧しい暮らしをしていることが手に取るようにわかりました。どんよりとした雰囲気を今でもはっきりと覚えています。

友達の実家へ行くと彼女の両親が食べきれないほどのご馳走を用意して歓迎してくれました。二人とも「たくさん食べなさい。遠慮しないで」とどんどん料理を薦めてくれます。食べ過ぎて、苦しくてお腹がいっぱいだからと断っても何度も何度も薦めてくれるので無理して食べてしまい気持ち悪くなったほどです。中国では客人への歓迎の意を表すためにしつこいくらいに料理を薦めるのが礼儀なのだそうです。この習慣に慣れない日本人は断りきれず私のように苦しいほど食べてしまうのですが、きちんと「お腹いっぱいです、もう本当に食べられません」と言えば大丈夫なのだということを後から教わりました。

お別れのときに二人は持ちきれないほどのお土産を持たしてくれ、「またいつでもおいで。祐香は私たちの娘なんだから!」と言ってくれたのです。涙が出るほど感動しました。

習慣の違い

中国人家庭でのもてなしの習慣についても書きましたが、中国と日本の習慣の違いには慣れるのに苦労しました。例えば日本では友人同士で食事に行けば割り勘が一般的ですが、中国では誰か一人が出すのが習慣のようです。今日は誰、次は誰、といった風です。中国人と出かけると食事はもちろん、バス代まで出してくれようとします。「友達だから大丈夫。今日は私が出すよ。」と毎回のようにおごってくれようとします。そして私も毎回「今回は私が出すって!」とがんばるのですが結局押し切られてご馳走になってしまっていました。

先生に相談したところ、「面子を持たしてよ!今回私に払わせてくれないと、次からはあなたと一緒にでかけないから。」と言えば良いと教えてくれました。日本人には不慣れな感覚です。

また、中国人はあまり謝りません。謝るということは自分の非を認めるということなので、よっぽどのことでないとごめんなさいと言わないのです。日本人はよく、すみません、ごめんなさいを使うのでこの文化の違いを理解するまでは不快にも思いましたが、どちらが良い文化、悪い文化ではなく、ただ文化が違うのだという事を認めることが出来るようになると気にならなくなりました。

語学力

10ヶ月間実際に中国に留学して、どれくらい語学力が伸びるかは自分自身がどれだけ伸ばすための生活をするかに拠ると思います。

私は大学で2年間中国語を勉強してから留学したのですが、始めは簡単な会話さえできず、焦りや自己嫌悪を感じてばかりいました。自信が無いので中国語を話すことを怖がっていました。でも、せっかく中国まで来て落ち込んでばかりなのはもったいないと思い直した時から語学力がぐんと伸び始めました。下手でもいいや、通じなかったら通じるまでねばればいいや、楽しもう、という姿勢の大切さを実感しました。

中国人と遊びに行ったり、雑貨屋の店員と仲良くなって1時間以上話し込んだりと、日々の生活すべてが勉強でした。会話力も伸びるし、中国人の考え方も知ることが出来てしかも楽しいと一石三鳥です。また、中国人に日本語を教える機会もあり、中国人の熱心さを目の当たりにすると同時に、逆に自分の日本語や日本についての無知さを実感しました。授業や机に向かう学習ももちろん大切ですが積極的に外に出ていくことも大事だと思います。

最後に

大連への留学を終えた今、10ヶ月間自分はよくがんばったと胸を張って言えます。楽しいことも、悩むこともありましたが、全てをひっくるめて留学してよかったと思います。

いろんな人と出会い、いろんなものを見て、確実に世界観が変わりました。そして、もっといろんなものを見たい、もっといろんなことをしてみたい、という思いが強くなりました。何かしたいと思った時、伴うリスクを恐れてしまいがちですが、失敗したらその度に乗り越えていけばいいと思います。いつでも自分に正直に向き合っていれば、恐れていたリスク以上のものを手に入れることができると思います。私自身も逆境さえも楽しむつもりでがんばっていきたいです。

これから留学を考えている方も多いと思いますが、私の体験記が少しでも役に立てば幸いです。

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