外国語学部

中国語専攻3年 南條英子

私は2001年3月から2002年2月まで大連外国語大学に留学しました。

"中国に留学する"と言うと語学のみの授業を受けるのが一般的だと思いますが、今回私は交換留学ということで、日本で履修するはずだった科目を選択するため、大連外国語大学(以下、大外)の留学生本科の授業に参加しました。留学生のための4年制本科クラスをひらいている学校は中国全土を見ても多くはありません。大外には貿易クラスと文化クラスの2つがあり、3,4年次には専門的な内容を学びます。私の場合は北九大で受講するはずだった科目が大外の本科の3,4年次に開講されていたため、時期は3年の後期からという中途半端なときでしたが参加させていただいたのです。

初めの数ヶ月は"聞き取る"ことで一生懸命でした。教授の話されていることが全く聞き取れない。宿題はどこなのか毎回クラスメイトに教えてもらう有様でした。中国語を専門で2年間学んでの留学とはいえ、そこはやはり日本での勉強。"読む"、"書く"はまあまあでしたが、"聞く"力を伸ばすのに時間は必要だと実感しました。"話す"ことはなおさらです。それに付け加えて、本科で学ぶ内容はビジネスだとか国際経済、中国文学といった半分以上が専門的内容です。もちろん全て中国語。「今日の講義内容はわかりましたか?」と聞かれても、うーん、これは内容以前に自分の語学力の至らなさだ・・・と痛感する日々が続きました。

しかし、反面、中国経済や文化はやはり中国で学ぶのが一番だとも感じました。その国にいたら旬の情報が手に入り、生活そのものが文化の勉強になるからです。本科でたった一年ではあるけれど見聞きできたことは本当に貴重だと思っています。正直な話、経済と聞くだけで取っ付き難い、面白くなさそうと偏見を持っていたのですが、分からないながらも興味をもてるようになりました。

大連にいなかったらきっと知り合いにならなかっただろう、出会うこともなかったかもしれない多くの人々との出会いは宝物です。一期一会の不思議さを感じます。もっとも仲のよかった韓国人の友人とは、洗濯機が壊れていたおかげで言葉を交わしました。来て間もない頃、洗濯しようとスタートさせたけれど一向に動く様子もない。しかし、中にはすでに水がたっぷり溜まってしまっています。壊れてるんだろうか?たまたまそこでカレーを作っていた彼女にこの洗濯機は壊れてるんですか?とたずねたのが始まりです。彼女も実は来たばかりで、洗濯機が正常かどうかなんて知らなかったのです。一緒になってぐしょぐしょに濡れた私の洋服を引っ張り出してくれたのでした。それがきっかけで、彼女とは一緒に旅行にも行く仲になりました。日本に居たら、韓国は地理的にも近く歴史的にも関わりが深いと頭で分かっていても、どこか自分とは遠い話で無関心でした。

私たちのように海外で外国人と生活をともにする機会に恵まれた場合は別ですが、韓国人は日本人が嫌いだ、と韓国人の友人にはっきり言われたことがあります。やはりショックでした。だが小さな寮の中で、韓国人と日本人が対立して事件が起こったり、そのとき傍観者に徹する周りの日本人、傍観できず我先に加勢しようとする韓国人の態度を話で聞いたとき、やはり違うんだな・・・と考えずにはいられませんでした。中国に来て、むしろ韓国のことを知らされたといっても過言ではないかもしれません。

私は元々、日本語教師という職業に興味があったのですが、実際に大連で中国人に日本語を教えるという機会に恵まれ、いろいろなことに気づかされました。教えるのは言葉だけではなく、文化や風習も大事です。日本人だから知っているだろうと聞かれることも多く、どう答えたらいいのか困ったことも度々でした。こんなにも日本のことを私は知らなかったんだ、と驚いたり・・日本に帰り、4回生になったら就職はどうしようかと考えたとき、大連で初めて持った生徒さんたちを思い出しました。そしてやはり日本語教師になりたい、と再確認しました。教授法など何も知らない普通の日本人として教壇に立てたことは私にとっては一番の収穫です。

大連で出会った人々は国籍も年齢もまちまちで、本当にバラエテイに富んでいました。それぞれの目的や理由で留学にきていて、価値観も当然まるっきり異なりました。大連で見て、聞いて、触れて感じたことは私に大きな影響を与えてくれたと思います。言語を習得するには一年では足りませんでしたが、大連での生活から得たあらゆるものが今の私にとっては本当にかけがえのないものです。家族を含め、留学に関してお世話になった全ての人々に感謝しています。大連には近い将来、日本語教師として戻りたいと思っています。

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